日本のお寺や神社をご紹介するブログです


by hk_temple1978

聖福寺

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解夏の意味を教えてくれたお寺へ、結夏の頃に訪れました。


【万寿山 聖福寺 (しょうふくじ)】

 聖福寺は黄檗宗のお寺。
 1677年、開祖である隠元の弟子、鉄心道胖により開山されたお寺です。

 1867年に坂本龍馬が率いた蒸気船・いろは丸と、
 紀州藩の軍艦・明光丸が衝突した際に談判を実施したお寺として有名です。
 龍馬が万国公法を用いて、紀州藩に過失を認めさせ賠償金を勝ち取った事件です。

 また、長崎出身のさだまさしさんが描いた小説「解夏(げげ)」のロケ地でもあります。
 主演の大沢たかおが、幼い日の記憶を回想した場所です。
 私は2010年の夏に参拝しました。
 仏教用語でいう、結夏(けつげ)の頃。夏の始まりです。 

 35度を余裕で超える気温の中、汗をタオルで拭いながら山門をくぐりました。
 建物の陰に腰を下ろして一息つくと、なんとも涼しい。
 都会と違って、日陰は涼しいんですよね。
 これから夏は、夏の終わりである夏解(げげ)へ向かってゆくんだなぁと感傷に浸りました。


 それほど参拝客もなく、ゆっくり伽藍を堪能できました。
 大河ドラマ「龍馬伝」の影響もあり、龍馬フィーバーの感があった長崎ですが、
 聖福寺は静かでした。
 眼下に広がる長崎の街並みを眺めながら、当時の談判なぞを想像したわけです。




長崎県長崎市玉園 3-77
長崎電気軌道 桜町電停より徒歩 5 分

聖福寺を拝観したい方はこちら
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# by hk_temple1978 | 2010-11-01 00:11 | 長崎

粉河寺

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粉河を渡って粉河寺。赤門と黒門が待ってます。


【風猛山 粉河寺 (こかわてら)】

 粉河寺は770年、猟師の大伴孔子古(おおとものくじこ)によって創建されたそうです。
 山号にもなっている風猛山を背にした西国三十三箇所の第三番礼所のお寺です。

 平安時代には観音浄土、弥勒浄土の聖地として、
 貴族から庶民まで参詣が絶えなかったそうです。
 
 その後は足利家の庇護を受けたり、
 豊臣秀吉によって全山を焼かれてしまったり、
 紀州藩主が再建したりと、波乱万丈の歴史を辿り今に至ります。



 私は平日に休暇を取って和歌山へ足を運びました。
 青春18きっぷを使っての旅行だったので、JR粉河駅から歩いて参拝。

 駅から10分ほど歩き、
 「粉をすって入れたような河」と粉河寺縁起に記される粉河に架かる橋を渡ります。
 すると赤い大門が視界に入ってきます。
  
 広い伽藍を歩くと、今度は黒い中門が見えてきます。
 赤い門をくぐり、黒い門をくぐり、本堂へ。
 なかなか印象深い参道でした。

 粉河はこじんまりとした印象の町でした。
 その町の柱として粉河寺が建ち、住民の心の支えになっているように感じました。



和歌山県那賀郡粉河町粉河 2787
JR 粉河駅より徒歩 15 分

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# by hk_temple1978 | 2010-05-20 00:47 | 和歌山

永保寺

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池と橋と寺院が、永遠の均衡を保っていました。


【虎渓山 永保寺 (えいほうじ)】

 永保寺は 1313 年に武家である土岐氏から招きを受けた
 高僧・夢窓疎石によって開かれました。

 夢窓疎石は数多くの寺院を創建・再建しています。
 日本各地の寺院、権力者から引っ張りだこだったようです。
 また造園にも秀でており残した名園は数知れず。

 この永保寺は夢窓疎石が造園した庭園に囲まれて建っています。
 臥龍池と呼ばれる池を中心に作庭されており訪れる人の心を鎮めてくれます。
 また国宝に指定されている観音堂や開山堂は、
 軒の四隅が大きく反り上がった見応えのある造りです。

 私が訪れたのは連休の最終日。
 境内には散歩中の地元の人がちらほら。
 地域憩いの場なのでしょうね。

 臥龍池を中心に歩き回り、様々な角度から観音堂を眺めました。
 角度によりお堂は趣きを変えてゆきます。
 その姿があまりに見事であったため、思わず池を2周してしまいました。



岐阜県多治見市虎渓山町1-40
JR 中央本線 多治見駅下車 徒歩 30 分


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# by hk_temple1978 | 2010-01-31 23:22 | 岐阜

青岸渡寺

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大門坂の果てには、名瀑と古寺が待っています。


【那智山 青岸渡寺 (せいがんとじ)】

 青岸渡寺は 4 世紀頃、
 印度天竺の僧侶が那智大滝の瀧壷で八寸の観音菩薩を発見し、
 この場に草庵を営んで観音様を安置したのがはじまりとされています。

 西国三十三箇所の第一番礼所に位置づけられています。
 お寺の職員の方に聞いたところ、
 この三十三箇所には京都の清水寺も含まれているそうです。

 また 2004 年には世界遺産の一部として認定されました。
 世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の霊場のひとつとなっています。


 私が参拝した時は、世界遺産の「参詣道」である熊野古道をまず登りました。
 距離にして 600 メートル。
 その大門坂の終わりには、優麗な那智山が眼前に広がりました。

 そして那智の大滝を背にした三重塔を視界に捉えると、気分は最高潮。

 その昔、青岸渡寺へ参詣した人々はこんな気分だったのかなぁと、
 強く感じられた瞬間でした。



和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山 8
JR 紀伊勝浦駅より 30 分、神社お寺前駐車場バス停 下車、徒歩 10 分

 熊野古道を歩く際は、
JR 紀伊勝浦駅より 25 分、大門坂バス停 下車、徒歩 40 分


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# by hk_temple1978 | 2010-01-18 22:16 | 和歌山

横山不動尊

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お不動様は人々を護り、人々はお不動様を敬う。
むかしも、これからも。


【白魚山 大徳寺 (だいとくじ)】

 横山不動尊は 1150 年頃に真言宗金剛寺として開山されました。
 その後 1504 年に曹洞宗へ改宗され大徳寺という名前となり今に至ります。
 改宗後は横山不動尊として呼び親しまれてきたそうです。

 旧不動堂は大正時代に焼失してしまいました。
 現在は 1928 年に再建されたものが不動明王を風雨から護っています。

 不動明王は弘法大師の作とされており高さ 5 メートル。
 その胎内には百済国から渡来した黄金の尊像が納められています。

 お不動様のお顔は親しみやすいものでしたが、
 その 5 メートルの体躯に圧倒的な威圧感を覚えました。


 お不動様は陸前の人々を昔から護り続け、
 陸前の人々はお不動様を敬い続け、今に至ったのだと感じました。

 今後も続くであろうその関係が、少し羨ましかったです。


宮城県登米市津山町横山字本町3
JR 気仙沼線 陸前横山駅下車 徒歩 5 分


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# by hk_temple1978 | 2009-12-15 23:59 | 宮城

青蓮院門跡

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夜に浮かび上がった竹林が、私の心をざわつかせます。
さて、次は鴨川沿いで一杯、かな。


【青蓮院門跡 (しょうれんいんもんぜき)】

 青蓮院は 1150 年に創建されたとされる天台宗の三門跡寺院のひとつです。 
 日本三大不動のひとつ「青不動」を保持するお寺としても有名です。
 (三門跡寺院と日本三大不動については下段に注釈)

 今回は青蓮院で初めて青不動(国宝)が公開されたため参拝に赴きました。

 ちなみに「青蓮院での公開は初めて」という言葉には余談があります。
 「青蓮院」以外では公開があったという背景です。
 以下の 3 回が青蓮院以外での公開だそうです。

 
  ① 1970 年の「大阪万博」
  ② 1986 年の奈良国立博物館「平安仏画展」
  ③ 1997 年「比叡山・高野山名宝展」

 
 青蓮院で拝む青不動だからこそ、ご利益があるのでしょう。
 それも納得で、拝観の入り口には長蛇の列でした。

 私が参拝した際は夜間拝観の時間帯でした。
 夜のお寺というのは幻想的ですね。
 身体がフワフワしたような心地よい空間でした。

 
 青不動のご利益を肩に乗せ、夜の先斗町へ散策に向かったワケです。
 鴨川のせせらぎを聞きながら飲むお酒は格別でした。

 程よい酔いで切り上げられたのは青不動のおかげだったのかな。
 (不動明王様は厳しい父親のような存在らしいので)


  ・天台宗の三門跡寺院
    京都にある青蓮院、三千院、妙法院を指す。
    門跡とは皇族・貴族の子弟が歴代住職となる別格の寺院。

  ・日本三大不動
    以下の寺院にて保持する不動明王を指す。
     青蓮院の青不動(京都市)
     高野山 金剛峯寺の赤不動(和歌山県)
     三井寺の黄不動(滋賀県)



京都府京都市東山区粟田口三条坊町69-1
地下鉄東西線・京阪京津線 東山駅下車 徒歩 5 分


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# by hk_temple1978 | 2009-11-12 22:05 | 京都